行動を規制しなければ、生命と雇用の両方が犠牲となりかねない

政策アプローチで暗黙の大前提となっているのは、政府には国民の生命を守るのと同時に雇用を守る責務があり、これらの間でバランスをとらなくてはならない、という発想だ。経済にとってプラスとなるのなら、ソーシャルディスタンス(行動規制)を緩めて国民の健康が多少犠牲になったとしても、その政策は正当化される、という考え方である。

だが、高い死亡率と他国同様の経済悪化というスウェーデンの悲惨な結果は、「国民の命か、経済か」という選択肢が間違っていることを示唆している。行動を規制しなければ、生命と雇用の両方が犠牲となりかねない。

反知性主義

反知性主義というのは「他人から知的に誠実な人だと思われるために努力する気がない」という心的傾向のこと

科学的な人は、きちんと反証されれば、誤りを認める。科学的でない人は、それができない。知性と反知性の違い、科学と非科学の違いはつきつめて言えばそれだけです。

「知識は無から-白紙の状態(タブラ・ラサ)から出発するのでもなければ、観察から出発するのでもない。知識の進歩というのは、主として、それ以前の知識の修正によって成り立つ。」(「知識と無知の根源について」、『推測と反駁』、藤本隆志他訳、法政大学出版局、1980年、49頁)

仮説が反証可能なかたちで提出されているかどうか、それだけが科学性のチェックポイントです。

科学者が個人として中立的で、不偏不党であり得るとしたら、それは本人が「私は中立的だ。いかなる党派的なものにも与しない」とうるさく主張するからではありません。そうではなくて、おのれの仮説の正否の検証は、自分が行うものではなく、公共的なある場に差し出して、その判定に委ねるということを誓言しているからです。

<内田樹の研究室より引用>

 

まず自分で考えてみる

「自分には無意味に思えるけれど、決まりだから」というだけの理由で批判を手控えて従ってはならないということです。もし無意味だと思ったら、「無意味じゃないか」とまずごねてみてください。
「ごねない」子ども、協調性・順応性の高い子どもは大人には喜ばれますけれど、みなさんは「ごねない子ども」にはならないでください。まず「意味わかりません」とごねてみる。そして、「君たちにはわからないかも知れないけれど、実はこの決まりごとには深い意味があるのだ」と大人が応じてきたら(きっとそうしてくれるはずです)、まずその「深い意味」とは何かについて自分で考えてみる。
 まず自分で考えてみること、それがとてもたいせつなんです。先生たちや大人たちが「これはね・・・」と教えようとしたら、それを制して「ちょっと待って。言わないでいいです。自分で考えてみますから」と言ってみてください。
 自分の眼には無意味な因習に見えるけれども、もしかすると、その背後には深い知恵がひそんでいるのかもしれない。一応そう仮説してみる。
 これはとてもたいせつな知性の使い方です。一見するとランダムで無意味に見える事象の背後に整然とした秩序があることを直観することから知性の活動は始まります。「すべての知性の活動は」と言い切ってもいいくらいです。その点では科学的知性も宗教的知性も成り立ちは同じです。

<内田樹の研究室より引用>

 

まず自分で考えてみる

「自分には無意味に思えるけれど、決まりだから」というだけの理由で批判を手控えて従ってはならないということです。もし無意味だと思ったら、「無意味じゃないか」とまずごねてみてください。
「ごねない」子ども、協調性・順応性の高い子どもは大人には喜ばれますけれど、みなさんは「ごねない子ども」にはならないでください。まず「意味わかりません」とごねてみる。そして、「君たちにはわからないかも知れないけれど、実はこの決まりごとには深い意味があるのだ」と大人が応じてきたら(きっとそうしてくれるはずです)、まずその「深い意味」とは何かについて自分で考えてみる。
 まず自分で考えてみること、それがとてもたいせつなんです。先生たちや大人たちが「これはね・・・」と教えようとしたら、それを制して「ちょっと待って。言わないでいいです。自分で考えてみますから」と言ってみてください。
 自分の眼には無意味な因習に見えるけれども、もしかすると、その背後には深い知恵がひそんでいるのかもしれない。一応そう仮説してみる。
 これはとてもたいせつな知性の使い方です。一見するとランダムで無意味に見える事象の背後に整然とした秩序があることを直観することから知性の活動は始まります。「すべての知性の活動は」と言い切ってもいいくらいです。その点では科学的知性も宗教的知性も成り立ちは同じです。

<内田樹の研究室より引用>

 

日本でなぜはコロナで病院が危機になっているのか?

重症者を集中的に診る病院が整備されていない  ずばり言えば、日本ではコロナ重症者を集中的に診る病院が整備されていないことだ。

 

欧米と比較して、日本は感染者も重症患者も少ない。12月25日現在、人口1000人あたりの感染者数は1.7人だ。アメリカの33分の1、フランスの24分の1、イギリスの19分の1、ドイツの11分の1だ。

 日本の医師数はアメリカの96%、フランスの76%、イギリスの89%、ドイツの59%だが、急性期病床数はアメリカの3.2倍、フランスの2.5倍、ドイツの1.3倍もある(イギリスは不明)。慢性期病床も加えた総病床数はさらに多い。コロナ重症者に対して、欧米諸国が、それなりに対応しているのに、数の面で大きく見劣りするわけではない日本の医療がどうして崩壊してしまうのだろう。個別個別の病院や医療関係者に責任があるわけではない。全体を統括する厚生労働省の方針、運営に問題があると言わざるをえない。

固まるとは、どういう意味

学術会議問題のまずさは
とんでもない意見を言う人を排除したこと

 固まるとは、世の中から、柔軟性が失われていくのです。理屈ばかりで物を考えていくと、物事はうまくいかないのですよ。理屈をちょっと超えたところのものが入ってこないと、世界は滑らかに回転していきません。とんでもないと思えるような意見こそ、意外にも世の中の役に立つものだと僕は思っています。 ~村上春樹インタビューより