まず自分で考えてみる

「自分には無意味に思えるけれど、決まりだから」というだけの理由で批判を手控えて従ってはならないということです。もし無意味だと思ったら、「無意味じゃないか」とまずごねてみてください。
「ごねない」子ども、協調性・順応性の高い子どもは大人には喜ばれますけれど、みなさんは「ごねない子ども」にはならないでください。まず「意味わかりません」とごねてみる。そして、「君たちにはわからないかも知れないけれど、実はこの決まりごとには深い意味があるのだ」と大人が応じてきたら(きっとそうしてくれるはずです)、まずその「深い意味」とは何かについて自分で考えてみる。
 まず自分で考えてみること、それがとてもたいせつなんです。先生たちや大人たちが「これはね・・・」と教えようとしたら、それを制して「ちょっと待って。言わないでいいです。自分で考えてみますから」と言ってみてください。
 自分の眼には無意味な因習に見えるけれども、もしかすると、その背後には深い知恵がひそんでいるのかもしれない。一応そう仮説してみる。
 これはとてもたいせつな知性の使い方です。一見するとランダムで無意味に見える事象の背後に整然とした秩序があることを直観することから知性の活動は始まります。「すべての知性の活動は」と言い切ってもいいくらいです。その点では科学的知性も宗教的知性も成り立ちは同じです。

<内田樹の研究室より引用>