NHKの朝の連続小説「エール」もうみたくない。

 理由

  古関氏が戦争責任を痛烈に感じていたようにドラマではなっていて共感してみてい

  たが、事実は違うようです。

  戦後、主人公が自分が作曲した曲が結果的に戦争に協力したことに悩んで作曲がで

  きなくなったようにドラマでは扱われている。しかし、モデルになっている古関氏

  は実際は「ドラマとは違う」とのこと。ドラマで扱われるドラマの主人公の作曲し

  曲はすべて古関氏のものと完全に同一である。これでは誰もが、古関氏の実際の行

  動がドラマとほぼ同じと思ってしまう。

 

ブログ「アリのひとこと」より

「昭和20年 10月 NHK連続ラジオ・ドラマ「山から来た男」で、終戦後初めて菊田(一夫)氏とコンビを組む」(古関裕而著『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』集英社文庫

 古関はすでに1937年には菊田一夫と知り合っています。そして、敗戦から2カ月後には早くもラジオドラマの主題歌を書いているのです。1年半以上自責の念で作曲できなかったという事実はまったくありません。
 「鐘の鳴る丘」が47年7月から始まったのは事実ですが、敗戦からそれまでに古関は実に32曲の作曲を行いレコード化されています(刑部芳則著『古関裕而中公新書より)。

 古関自身、敗戦直後の様子をこう記しています。

 「終戦後、初めての仕事が菊田一夫さんとの仕事であった。これもなにかの縁なのだろうか。それからの私の音楽は、菊田さんの行くところへとついて行く。まるで、拍車をかけて走る二輪車が、留まるところを知らずに走っているようだった。よくもあれだけ多くの仕事をかかえていたものだと思う。健康な体にも感謝したい」(前掲『古関裕而自伝』)
 ここには、失意どころか、戦争協力に対する反省すらうかがえません。